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幸せを運ぶ火のある暮らし

私が生まれた昭和三十年代は、火が活躍していた時代だった。お風呂は薪釜で焚かれ、夕暮れの空に細い煙突が火の粉を吐きだしていた。調理にはガスが使われていたように思うが、縁側に腰かけ七輪の火を扇ぎ、煙い目をしてサンマが焼けるのを見ていた憶えもある。暖房は火鉢と練炭炬燵が主で、どんなにそばに寄っても吐く息は白かった。庭の焚き火では小枝に火を点け、中くらいの薪から太い薪へと火を育てるように見守りながら、火を扱うには段取りがあること、そしてその怖さも学んだ。火にまつわる幼い頃の想い出は不思議と鮮明に憶えている。

薪ストーブとの出会いは今から25年ほど前、設計の仕事で薪ストーブのある暮らしをしたいという施主の要望からだった。完成した家を訪れては薪ストーブの暖かさに触れ、その生活ぶりを聞くたびに、自分でも火のある暮らしをしたいと思うようになっていった。当時は、東京の賃貸住居に妻と2歳、6歳の二人の男の子と暮らしていた。コンクリートに囲まれ、子供たちはテレビとゲームに夢中だった。自然の中で生活を楽しみ、本物の火を使う事を知ってほしい。そんな思いから、1998年、那須の隣村の雑木林に薪ストーブのある小さな山荘を建て、週末暮らしをはじめた。

山荘には、火鉢、七輪、焚き火台などの火を楽しむための道具がいくつもある。昼食は雑木林に囲まれたデッキで焚き火台を使ったダッチオーブン料理が定番となり、正月はストーブで熾こした炭を火鉢に移し餅や干し芋、銀杏を焼く。ストーブトップでは鍋に鶏ガラや牛テールをコトコトと煮込んでスープをつくり、熾き火になったストーブの炉内で肉を焼き、横にアルミホイルで包んだジャガイモをころがす。あっという間にパリッ、ジューシーな鶏モモ焼きに、ホクホクジャガイモとスープを添えた美味しい夕食の出来上がりだ。七輪でサンマやイワシを焼けば、幼い自分の想い出と重なる。子どもたちも火のある暮らしがあたりまえになり、自然と薪ストーブに火をくべるようになっていった。夜、テレビの無い山荘では、林を渡る風とかすかに薪がはぜる音だけがする。ゆれる炎がみんなの顔を照らし、本物の火でつくった料理が並ぶと家族の気持ちがひとつになるように思えた。火のある暮らしは私たちに幸せと感じられる時間を与えてくれたのだ。

そよ風と薪ストーブ


子ども達が成長して賃貸住まいが手狭になった2005年に東京に小さな家を建てた。山荘が出来てから7年。地球温暖化が問題になり、CO2削減のための京都議定書が発効された年でもある。太陽エネルギーや持続可能なエネルギーである薪が注目されてはいたが、”そよ風”と薪ストーブを自宅に使おうと決めたのは、環境に優しいからというより、日々自然の恵みを感じて暮らしたいと思ったことからだった。この家では敷地24坪、建坪9坪の三層の家を、昼には太陽で天気の悪い日や夜には薪で全館暖房している。”そよ風”は、太陽熱で暖房するシステムだ。効率よく太陽の熱を集める仕組みを屋根面に作り、そこで暖められた空気が小さなファンで床下まで運ばれ、コンクリートに蓄熱しながらゆっくりと上昇し部屋を暖める。室内へ送り込まれる空気の温度は、30度から35度と体温よりも低い温度だが、冬の室温として考えれば充分に暖房として働く。日向ぼっこに通じる自然の恵みだ。日が沈み、外が冷え込んできたら薪ストーブに火を入れる。まだ太陽の恵みで暖かい部屋に赤々と燃える火が点くと、炎は心に安らぎを与え太陽と薪の暖かさが体の芯までしみ込んでいく。

自然の恵みと暮らす喜び


幼い頃に使われていた薪・石炭は、高度成長期を経て天然ガス、石油エネルギーへと移り、かまど・薪はガスコンロ・灯油ストーブへと姿を代えた。近年は太陽、水、風、木などの自然エネルギーも見直されてきてはいるが、今ではそれらのエネルギーから生み出される電気を使ったオール電化住宅の時代へと移行しつつある。スイッチひとつでお湯が沸き、調理し、空調もしてくれる便利な暮らしがあたりまえのようになったが、使う側はそれを自然の恵みと感じることはできない。日向ぼっこ、お風呂、炊きたてのごはん、薪ストーブ。寒い季節には、ただ暖かいというだけで人は幸せを感じることができる。それが自然の恵みからきているなら尚更だ。薪や太陽の暖かさをそのまま利用した暖房は、自然の恵みと共に暮らす喜びを与えてくれるのだ。

薪ストーブを使いはじめてから今年で18年目の冬を迎えようとしている。今でもあの時と同じように一本のマッチから火を点ける作業は変わらないが、子ども達は成長し長男は巣立っていった。彼らが家族を持つ頃には、火と共に暮らした幼い日々を思い出すだろう。もしかすると、子供のために火のある暮らしを始めるのかもしれない。

<そよ風>が好き 環境創機 2016年より

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